研究所を立ち上げて今年でまる50年になりました。大学院を出てすぐに、現在の「住環境計画研究所」という名前でスタートしました。今思えば、無謀な社会人スタートだったとあきれてしまいます。若い家族が何とか生活できることが目的でありながら、確たる保障やスポンサーもなく、どのようにしてここまで来られたのかと我ながら信じられません。
しかし思い返せば、数えきれない友人やご指導、ご鞭撻を賜った親しい方々からの有形無形のサポートのおかげであることは間違いありません。
スタートした昭和48年、1973年は大変エポックメイキングな年でした。田中角栄総理による列島改造論が打ち出されたばかりの年であり、秋には世界を揺るがせた第一次石油危機が我が国にも来襲しました。この段階では現在のようなエネルギー問題などはまだわが社にとっての仕事の対象ではありませんでした。むしろ、列島改造論に端を発して都市計画の地方農村版としてスタートした、当時の農林省の農村総合整備モデル事業計画への参画でした。宮崎県の町村を手始めに、同級生の助けを得て取り組んだのが本格的な委託研究調査の始まりでした。
研究所の性格や目的をどこに置くのかと悩んだものでした。そこでシンクタンクとして活動を目指すことにしました。シンクタンクとは社会の政策決定過程に関与し、寄与していく事が目的であり、企業等へのコンサルタントとは異なる立ち位置を目指そうという心意気でした。現在に至るまでこの視点からの仕事がわが社の中核的なビジネスモデルとして続けられていることは、奇跡に近い結果だったと、その機会を与えてくださった皆様に感謝しています。
その後、当時の建設省の「在来工法住宅振興政策策定」に係わるお手伝いや科学技術庁の資源調査会での省エネルギーに関するいくつかの調査研究を手がけました。これを契機に、通産省資源エネルギー庁の石油危機への対応から、省エネルギーや灯油価格の適正な水準の検討などが加わり、その後、当時の通産省や建設省の省エネルギー基準策定への関与等を経て、現在のエネルギー問題や地球環境問題に繋がってきたのです。
またその他にも、農村計画から学んだ地域振興計画の手法をもとに、現場から考えるリゾート計画の立案のお手伝いを当時の通産省、建設省の下でさせていただく機会をいただきました。これがご縁となり、ドイツのバーデンバーデンの観光局の日本事務所の代表を務めるという貴重な経験も得られました。
スタート当初は私とスタッフ一人で自宅の一室でまさに在宅勤務状態でしたが、50年たって再び在宅勤務状態で仕事をすることになったことに不思議な感慨があります。現在は、女性11人、男性9人の総勢20名の所員がおり、私より二回り以上若い現研究所長の鶴崎が指揮を執る体制になりました。
これまでの皆様方からの大変なご支援とご協力を頂戴してきましたこと、この場をお借りして心より御礼申し上げます。また、次の50年に向けての叱咤激励を賜ることが出来ましたら望外の喜びでございます。本当にありがとうございました。
おかげさまで住環境計画研究所は2023年4月1日に創業50周年を迎えました。平素より弊社の活動にご支援ご協力を賜り、心より感謝申し上げます。弊社では官公庁や自治体並びにエネルギー事業者をはじめとする企業からの受託調査研究事業を中心に、エネルギー危機や気候変動問題などの社会的課題に取り組んで参りました。お客様との意見の衝突を是とする社風に育まれ、プロジェクトの遂行にあたっては、“お客様のお客様”のためになるかを問いながら、成果を挙げることを目指しています。
私たちが取り組む課題は、ますます複雑かつ困難なものとなっていますが、弊社は常勤所員20名の小さな組織であり、得意とする分野も限られます。しかし、近年は社外のパートナーのお力添えを頂き、単独では実施不可能な大型プロジェクトに携わる機会が増えました。また、場所を問わずにプロジェクトを遂行できる環境が整備されるに伴い、組織の内外を隔てる壁が低く、薄くなってきたと感じています。
デジタル革命の進展に伴い、私たちのビジネスにおける価値の創出方法自体が、今後数十年間にわたって大きく変わっていくと予想されます。これまでの経験を大切にしながらも、変化を楽しみ、より良い未来を切り拓くことを目指す人たちとともに、今後も全力で課題に取り組んで参ります。